おみぃの裏山

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生きづらさの正体を捕まえた!〜パート2〜

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今日は昨日の続きです。

昨日の記事はこちら→ https://omiitootamadaisuki.hatenablog.com/entry/ikizurasanoshoutai

 

中学でも勉強は出来るとは言わないまでも、どうにかこうにか付いていけていたと思うのだが、相変わらず周りとテンションがかなりかけ離れていて、ちょっとした問題行動が多い子どもだった。(ヤンキーではなかったが)

徐々に「自分だけやっぱなんか変」という問題から目を逸らすことが出来ないまでになっていった。

結果、知ってる人が一人もいない、遠くの高校に行くことを選んだ。

早朝の通学が大変で、よく自転車で居眠り運転した。一度は田んぼに見事に転落して、膝が血だらけになったところを、通りがかりの親切なバスに拾われ、無賃乗車で病院まで直行。(後日お代はちゃんと支払ったが)また居眠りは自転車だけでなく、帰りの汽車でも寝過ごしては終着駅から親を呼び出し、はるばる迎えに来てもらったものだった。

当然学校でも居眠り、早弁常習犯。夢見る少女だけではいられなかったわけだ。高1は女子クラスで、担任に立てつく主犯格となって、学年末に親が呼び出しをくらってしまった。情けなさと育ててくれた両親への申し訳なさで、ムシャクシャして、その晩堅焼きごま煎餅を勢いに任せてやけ食いしたのがいけなかった…


16歳JKが、一瞬にして、前歯を失ってしまうという悲劇が起きてしまった。天罰というものがもしこの世に存在するなら、きっとそれだったに違いない。結果、歯医者通いに明け暮れる残念な春休みとなってしまったが、それはそれで今思えば感謝なタイミングだったと思う。

 

高校、大学と行動範囲が広がるに連れて、周りにはいろんな個性を持った人がいることがわかり、相変わらず生きづらさは消えたわけではなかったけれど、変わってるのって自分だけじゃない!と少し安心して、比較的自由に過ごせたのがこの時代だったかもしれない。

 

ときは流れ、大学から付き合っていた夫と長い春を乗り越え、それなりに納得しての結婚。ひとりでいる時しか落ち着けない性分の自分が、夫とだけは何年たっても「毎日が日曜日」のように感じたことが結婚を決めた理由だった。

 

がしかし、「毎日が日曜日」のようであり続けられるわけがなかった。空気の一部のような存在だった夫が急な病に倒れ、突然他界したのは、結婚して1年10ヶ月後、唯一の子どもを出産した2ヶ月ちょっと過ぎた頃だった。

 

空気中の一番大切なものをすっかり失った状態のまま、初めての慣れない子育て。手に職もなく、手当たり次第とりあえず仕事に就くもなかなか続かない生活。一体どうやって生きていたんだろうか。夫の死後3年後にパニック発作を起こしてしまう。

 

それからは心療内科の薬を飲みながら、引き続きパート的な仕事を転々としながらの自信のない子育て。珠のように可愛い我が子はなかなか電池の切れない、いっときもじっと出来ないスーパー元気者で、正直私はへとへとだが、生きてるだけで丸儲け、子ども本人にら何も問題ないとたかをくくっていた。幸い元気いっぱい健やかに成長し、年長になる頃にはいよいよまた一つ潜んでいた問題が表面化することになる。

 

保育園での就学前の個人面談で、「普通学級は無理かも」と担任に言い渡され、頭を鈍器で殴られたかのように呆然としてしまった。

 

幸いなんとか普通学級に滑り込みセーフ出来たものの、呑気にしていられたのはわずか2年足らず。一年からお友達に怪我を負わせて呼び出されるようなことはあったものの、担任が新任の、実に大らかな女性の先生で、愛情もって許容してくださった結果、問題が本格的に表面化したのは、2年の終わり。今度はベテランの退職直前の女性の担任に呼び出された。「三年からは勉強がもっと大変になります。一度専門の先生に見てもらっては」とのアドバイスだった。

〜パート3に続く〜

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