クリスマス考
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バカリズム様 ご結婚おめでとうございます🎉まさかの朗報にビックリ🙀💦末永くお幸せに❤️
今年は地元に帰って初めてのクリスマス。思いがけず、姉からのケーキのプレゼントに感激。
去年のクリスマスさえ、もはや思い出せないが、確かケーキは食べていないはず。母子二人暮らしではホールのケーキを買うのには毎年躊躇してしまい、教会のクリスマスでケーキ食べれるからまいっか、となんともあっさり、ワクワクしない冷めたクリスマスを過ごしがちな沖縄生活だった。
ここへ来て、八十前の母とともに味わうクリスマスケーキには格別なものがあった。あと何回こうしてクリスマスを祝えるだろうか。20回くらい一緒に祝えたらよいが。
さて、本題に戻ろう。
イエス•キリストの誕生日は12月25日ではない説がもはや定説になりつつあるようだ。
365日のうちのどの日でも、いや毎日だって世のお母さん方に感謝してもバチは当たらない。それなのに、いつ感謝したっていいなら感謝しそびれるのが人間。だから母の日が設けられてることは、とても合理的と言えるかもしれない。
同様にイエス•キリストがお生まれになったことを、本当は、1年365日どの日だって喜んだり、有り難がったり、祝い合ったっていいはずだ。しかし、毎日がクリスマスだったら、さすがにげんなりするし、お腹いっぱい、有り難みも薄れてしまうかもしれない。
だからこそ年に一度、しかも一年を振り返るに最もふさわしいこの時期に、クリスマスが制定?されたのかもしれない。だらけがちな人間の性質を良く見抜いておられる神の綿密なご計画か?
ところで、南天がクリスマスっぽいと感じるのは沖縄帰りの私だけか?
ごく日本的な植物なのに、私の中ではクリスマスにぴったり!と思ってしまう。雪が積もるとすごく素敵な絵になるだろう。この冬、雪被りの南天を見れるだろうか。息子にも見せてあげたい。
ところで沖縄にいた頃は、南天を見た記憶がない。
Wikipediaによると、南天は中国原産。日本では、西日本、四国、九州に自生しているということなので、南西諸島には自生していないのかもしれない。
ちなみに花言葉は「私の愛は増すばかり」「良い家庭」。なるほどクリスマスに合わないでもない。
沖縄では、放っておいても枯れたりせずに、勝手に自生して繁殖していく、たくましい野生の植物をお年寄りたちはみな「なんくるみー」と呼んでいた。
例えば、インパチェンスや虎の尾ってところだろうか。ミントやバジルなどのハーブもある意味放って置こうが次から次へと生えてくるので「なんくるみー」と言えるかも知れない。
「なんくるみー」ということばは、私が今まで聞いて来た限りは、あまり重宝がられたり、愛でられることがないニュアンスを含んでいるようだ。
母によると、この南天もまた沖縄で言うところの「なんくるみー」的植物にあたるようだ。
人々に捨て置かれ、見向きもされなくても、枯れないし腐らない。雨露を糧にし、ひたすら根を張り続ける。
常に自分の生きる場所を見つけて、どんな場所でもたくましく自生していく、そんな「なんくるみー」に強い憧れを抱かずにいられない。
「なんくるみー」の南天だって、遥々海を渡って帰って来た浦島アラフィの私の、新しい心の友となってくれている。雨の日には水も滴るいい女風に、晴れの日には、スポーティな大坂ナオミのように華やかに、毎日真っ赤に輝いて、生きる力を分けてくれる。
南天が私に新しい冬の楽しみを、朝毎に夕毎に教えてくれる。なんと嬉しい課外授業!
南天に負けじと「なんくるみー」となって、いつか真っ赤な実をたわわに付けて、生息してるだけで誰かの励ましや刺激となれることを願いたい。