おみぃの裏山

アラフィフおみぃの詩のブログです^_^どうぞごゆっくり

Yちゃんの将来 私の将来

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早目に一人でお昼ご飯を食べていたら、レースのカーテン越しに、我々の田舎では定番の、割烹着タイプのエプロンを着けた、見覚えのあるゆったりとしたシルエットが目に入る。

 

一瞬躊躇したが、手近にあったみかんを3つひっ掴んで、外へ駆け出し声を掛ける。

 

同級生のYちゃんである。Yちゃんは、保育園の年長時代までは一緒の教室ですごしていた。ところが一年生に上がるときに、Yちゃんは当時「特殊学級」といわれた特別教室に入れられ、もはや通常の授業のある日には一緒に過ごさなくなった。

 

小・中まではずっと同じ学校に通っていたYちゃん。知的な遅れがあるということで、人権意識も今ほど進んでいない当時、何かとばかにされることが多かった彼女。

 

学年の女子の中では一番近所に住んでいた私は、正義感で彼女をかばった記憶が全くないわけでもないが、不用意なことばのナイフで彼女を傷つけてしまったことも多々あったと今思う…。

 

今更彼女にやさしくしても罪滅ぼしにはならないが、遠くからでも彼女の姿を見つけたら、駆け寄ってこちらから声を掛けるようにしている。

 

中学を卒業後Yちゃんは、作業所に入った他の特殊学級の生徒たちとは一線を画して、家庭に入り、家事手伝いすることになった。大事な一人娘を外に出してまで余計な苦労させたくないという両親の強い意向があったらしい。

 

彼女の現在の家族は同居している両親、そして遠方に暮らす兄家族。ご両親が無事で長生きしてくれることを願うばかりだ。

 

あぁ、あのときちょっと無理させて手に職を付けさせてもらっていたなら、なんて、他人ながらもおせっかいにYちゃんのこれからの行く末を心配せずにはいられない。私も他人のことを言える身分じゃないが…

 

親の思いと自分の思い、大人の意見と子どもの意見。どれが正しくてどれが間違いかなんて一概には言えない。しかし、か細い子どもの心の声は何かと取り残されてしまいがちではないだろうか。今もなお。

 

自分なりに意思表示して通ることもあれば通らないこともある。

 

Yちゃんは本当はどうしたかったんだろうか。自分の本当の意思を両親に正直に伝えることは出来ていたのだろうか。

 

いつもニコニコ気立ての良いYちゃん、あのとき何かしらの形で社会へ飛び出していたならば、あと少しだけ広い範囲の社会に良い影響を与える別の人生もあったのでは、と余計なことを考えてしまう。本当に余計なお世話だが。

 

閑話休題!ひとまずは自分の心配をしなければ。

 

Yちゃんの将来、私の将来、私が心配してもしなくても、神さまが最善の未来をかならず準備おられる!と信じ切ろう!