お宝を発掘☆
昨年末、熱心に実家の断捨離をしたところ、いろんな収穫があった。といっても金目のものは何一つなかったのだが。
・懐かしい写真の入った古びたポケットアルバム。
・卒業のときの寄せ書き。
・恥ずかしい詩の交換ノート等々。
その中の目玉の一つである通知表を何十年ぶりかに見返してみた。
(「通知表」と書いてあるけど、小さい頃はみな「通信簿」と呼んでいた気が。)
田舎の中でもかなりのへき地。
小中学校ともに一学年から最終学年までなんとずっと1クラスで育った。(中学は三つの小学校から上がってくるのに1クラスしかないってさみしい(^^;)
小学校低学年のときの先生はベテランの女の先生で、すごーくやさしくて大好きだったなぁ。
先生の遠隔地への出張の時は「飛行機落ちたらどげんしよう…先生大丈夫やろか!」と、仲良しの友達と一緒に、先生を心配し、号泣していたっけ(笑)。
小さい時の「先生」とは、私たち子どもにとって偉大で絶対的な存在だったんだよなぁ。
その先生からの微笑ましいコメント。
「いくぶんか体力がつき、行動力も給食も自信をもってきました。」
・相当体力がなかったとみえる。食べる力すらなかったのだね。
・給食。確かに食べるの遅すぎて毎回しんどかったなぁ。
みんなは食べ終えて次々とお外に飛び出していく。
私はというと、お掃除に備えて教室の後ろに引き寄せられた机群の中ににひとりぼっちで取り残され、黙々と完食めざして格闘していたものだったなぁ。
「外遊びが足りていない。」のはきっとそのせいに決まっている。
いまだに大勢での食事となると、当時のトラウマか「早く食べなきゃ!」と焦ってしまう。
さて、二年生に進級前にはこのコメント。
「給食がじょうずになりました。」、、、(爆笑)
給食をすごーく頑張ったんだね、自分!
おかげで40年後の私はこんなに大きくなりました(笑)。
小学校中学年から中学卒業まで、あとはほぼ男の先生ばっかり。年々コメントも厳しめになってくる。
読み返すと、相当落ち着きがなく、常に要注意人物だったことが伺える(苦笑)
中一の担任より
「勉強の方はよいのですが、性格がすこしきつい様です。また言葉遣いもあまりよくありません。年上の人に対する接し方がもう少しです。」
あらあら、、、。記憶にございませんが。
のちに心を入れ替えたのか、引っ込み思案な割に、学級委員をつとめた形跡も…。
過去を振り返ることってどんな人でも若いうちはそうそうないだろう。
私もここまでの人生は、ひたすら前だけ向いて突っ走ってきた。
ひょんなことからの発見から、昔からの歩みを振り返るとても良い時間になった。
幼かった自分や一緒に成長してきた周りの仲間。
いっぱい迷惑をかけた先生方との思い出の悲喜交々。
思い返すと、お互いに見えない力を交換し合ってた気がする。
既に天に召された恩師や友もいる。
一緒に過ごせた当時の思い出は、私にとって永遠の宝物だ。
会いたくて出会ったわけじゃない人々。神様の配剤なのかはわからない。
その人たちの中でこそ自分らしさが浮き上がって来るんだろう。
ともかくも人生はかなり面白くデザインされていると感じる。
後半もきっとがんばれそう。
あなたも昔の宝を発掘してみませんか。意外に楽しいですよ^^
追記)ノムさんの訃報が先ほど入りました。早すぎます。ノムさんのこと忘れません。野球は出来ないけど、私も主婦界の再生工場としてがんばって生きていきます。野球のすばらしさを教えてくれてノムさん本当に有り難う!ご冥福をお祈りしています。感謝を込めて。