おみぃの裏山

アラフィフおみぃの詩のブログです^_^どうぞごゆっくり

KYな AI

空気読み過ぎて、実家へ戻り損ねて二十年。がしかし、更年期に差し掛かり、昨年ようやく心と体が答えを出してくれた。

 

「もうあなたは十分にやった」なんて、どこかの誰かが囁いてくれるのを待っていたのかも知れない。がしかし、気づいてしまったのだ。

 

「もうあなたは十分にやった」と言うのに一番ふさわしい人、それは自分以外他に誰もいないと。

 

生まれる前から養子縁組が予告されていたことと多少関係があるか知らないが、どうも私の深層心理の中に「自分の人生は自分では決められないもの。決めてはいけないもの」という思い込みと無力感がこれまで幅を利かせていたように思う。

 

そもそも「こうしたい」「ああしたい」が言えない子だった。本当はストロベリーが欲しいのに「バニラがいい」と言う子だった。今でもなおそういったことが多少ある。親しい間柄では欲しいものを欲しいという練習をしているところである。

 

どうして本音を言えないかと言うと、相手がガッカリする顔を見たくなくて、相手が喜ぶ答えを察知して答えてしまうのだ。

 

まだまだ正直にものを申していた保育園児の頃、血の繋がりはないのに愛情たっぷりに育ててくれていた養母が、洋服を縫ってくれた。

 

農家の長男嫁として日々働き詰めの養母が、ない時間を工面してワンピースを縫ってくれた。それなのに私はどうしても気に入らなかったようだ。

 

記憶が確かなら、当時私はサッカー地の肌触りがどうしても受け入れられなかった。デコボコして肌にピッタリこない独特の着心地が嫌で、試着するなり泣き出してしまったのだ。

 

涼しげなサッカー地の夏のワンピース。どんな気持ちで養母は縫ってくれたのだろうか。泣き出した私をなだめながらも、さみしそうな表情をした養母の顔が心に焼き付いている。

 

子どもながらに、養母を悲しませてしまった記憶は意外にも強烈なものだったに違いない。大好きな人の悲しい顔をみることは、子どもでも大人でもつらく、努力次第で避けられるものならばぜひ避けたいと思うものである。

 

イニシャルA.I.なだけあってその後はメキメキと学習能力を発揮したのかもしれない。「これはいや」「これは嫌い」と言えない子どもがそのまま順調にすくすくと中高年にまでなってしまった。

 

がしかし、AIばりのすぐれた学習能力が災いして、ついに心病んでしまってからは、ことごとく、子どものAちゃん(おみぃの本名)に本音の本音を尋ねてみることに気をつけている。

 

幾つになっても子どものAちゃんは私の永遠の親友である。愛する子どものAちゃん今年もどうぞ仲良くしてねー( ͡° ͜ʖ ͡°)(→どうみても丸佳浩。今年もがんばれジャイアンツ)

 

皆様もごゆるりと引き続き良いお正月をお過ごしくださいませ(=´∀`)人(´∀`=)

 


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