おみぃの裏山

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生きづらさの正体を捕まえた!〜パート3〜

f:id:omiitootamadaisuki:20191114205646j:image前々回からの続きものになっております。よろしければ、こちらからどうぞ↓

 

生きづらさの正体を捕まえた!〜令和初のポッキーの日https://omiitootamadaisuki.hatenablog.com/entry/ikizurasanoshoutai

生きづらさの正体を捕まえた!パート2

https://omiitootamadaisuki.hatenablog.com/entry/2019/11/12/ikizurasanoshotai2

 

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当時小2だった息子の担任の先生に助言をいただき、意を決して小児発達センターに検査を受けに行くことに。

 

検査の結果はADHDのグレーゾーン。息子のケースは薬が有効との事で、はじめリタリンを→のちに処方が変わりコンサータを服用させることになった。薬を服用している日は驚くほど穏やかな様子で、これなら、本人も落ち着いて学校生活を送れるのでは、と淡い期待を抱くも、約1年後にその期待は打ち砕かれることになってしまった。

 

私の目からは、薬を服用して静かに過ごせる穏やかな息子は、本人に言わせれば、「自分が自分じゃなくなる」らしかった。私の息子らしくもなくやけに賢く立ち回り、主治医に直談判して、投薬を休むことを取り付けたのである。私には事前の相談なしに、診察室でいきなりである。

 

という訳で、小4からは本人の強い意思で、投薬なしで自力でがんばるとの宣言どおり、その後は、ひとり親の私をヒヤヒヤさせながらも、息子なりにマックスがんばってくれて、なんとか中学、高校を無事に卒業し、どうしても大学に行きたいという目標も有言実行してみせてくれた。ブラボー!ワンダホー!ビューリホー!

 

私の生きづらさの話から息子のADHDグレーゾーン話へと話が逸れてしまったが、そろそろ結論を。

 

産後即死別のドタバタ劇でADHDグレーゾーンの我が子に20年ばかり振り回されてきたひとり親のこの私自身が、実はADHDストライクゾーン⚾️だったことがつい先日判明したのである🙀だらしない息子のことを後ろ指☝️指してる場合ではなかったのである…

 

どおりで生きづらかった訳である😣💦そりゃうつにだってなるというものだ(泣)母子家庭な上に、多動な息子にかかりきりで、きりきり舞いしながらの子育て、落ち着いて自分を省みる機会が今までなかったのだ。

 

今、冷静に振り返ってみると、小2でグレーゾーン宣告された息子の6・3・3プラスアルファの年月は、母親である私自身の幼少期に比べれば、うんと穏やかでむしろ問題もほぼ無いに等しかったではないか!気づかないって恐ろしい。なんとも皮肉な話である。

 

人の悩みの大部分は、紙に書き出したり、誰かに話したり、なんらかの形で「ことば化」するだけでもずいぶんと対処しやすくなると、誰かえらい人が話してたのを聞いたことがある。まさにこれのことか!と溜飲の落ちる思いである。

 

だからといって、生きづらさがなくなるということは100パーセントあり得ない話だが、私の生きづらさが「ことば化」されたからには、より対処がしやすくなっていくと信じたい。ようやく新たな気持ちで、人生後半のスタートラインに立てそうで感謝である。

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